プロへの転向>>チンドン屋 さん休のチンドン紹介記 〜チンドン屋が道を歩けば、街は笑顔笑顔!〜

目次
第1回 自己紹介とご挨拶 [2010-01-01]
第2回 チンドン屋との出会い [2010-01-19]
第3回 プロへの転向 [2010-03-15]
第4回 大和家時代〜現在 [2011-06-06]
第5回 東京のチンドン屋の営業スタイル [2011-07-12]
第6回 チンドン屋の扮装 [2012-10-30]
第7回 うれしいこと、辛いこと [2013-06-25]

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第3回 プロへの転向 [2010-03-15]

そうして、サラリーマン稼業のかたわら“ウィークエンド・チンドン屋”をやっていた私でしたが、次第にその立場に苦しさを感じるようになりました。


どんな仕事でも、始めの頃こそ周囲は「まだわからないから」と温かい目で見てくれますが、何年も続けていれば、それなりに進歩を期待されます。
しかし、いわゆる“二足のわらじ”を器用にこなす才覚のない私は、土日は必ず出してもらえるというわけでもなく、せいぜい月に数日の登板では、なかなか上達できませんでした。

また、任されるパートはチンドン太鼓が多く、演奏はもちろん、口上、さらに第1回でふれたように現場でのリーダーシップも求められるものでした。


その頃は、私の稚拙さのせいでスポンサーも仲間もがっかりさせてしまう場面が何度もありました。親方は「何でできないのかな」とよく呟いていましたが、現場数が多い日にはやはり私に出番を与えました。たまに一緒の現場の時には、熱心に稽古も付けてくれました。

 

さて、入門後数年のうちに、世の中の不景気は悪化し、小鶴家の現場数もだんだんと減ってきました。数人の専属メンバーを抱える小鶴家の中でも出番が後ろの方の私には、いよいよ声がかからなくなってきました。

さん休のちんどんの師匠「小鶴家親方」

一方、本業の中災防の方では、入社年数を重ねると共に責任のある仕事を任されるようになり、気楽に休暇を取ることが難しくなってきました。チンドン屋としての進歩など到底望める状況ではなくなってきたのです。

 

この状況が苦しいならば、チンドン屋のアルバイトを辞めるのが普通なのでしょう。しかし、未練がありました。半人前以下なのに、「プロ3年目だと言って来い」と親方と女将さんに背中を叩かれて現場に行き、うまく出来ずに恥をかいた経験の数々……このまま辞めてしまったら、その恥ずかしさ、悔しさがそのままの思い出になる。

チンドン屋に関わってみて、何一つ「やりきった!」と納得いくことが出来なかった私は、中災防を退職して、本業のチンドン屋になることを決意しました。

 

それから3年間、私は中災防での仕事に、むしろ本腰を入れて取り組みました。
一つには、生活が苦しくなるのは目に見えていたのでお金を貯めようと思ったのと、もう一つは、結局中災防でも中途半歩な仕事しかしなかった、という評価を自他共に残さないようにしようと考えたからでした。


そして、2000年、35歳の時、私は親方、女将さん、小鶴家メンバー、他のチンドン屋、そして両親に、退職と転職を伝えました。親方と女将さんには、その口実として「北海道への転勤を命じられた」という嘘を用意しました。
実際、全国に支部がある中災防では十分にその可能性があり、転勤は時間の問題でもあったのですが、その時の辞令はそうではなかったのです。
しかし、定収入の団体職員から日雇いのチンドン屋になることは、親方たちの価値観では全く考えられないことであり、彼らに理解可能な範囲の口実でもなければ、いつまでも「辞めなきゃよかったのに」と言われ続けそうでした。


私のプロ転向に際して、それまでの私の体たらくを見れば当然のことながら、賛成した人は一人もいませんでした。

小鶴家から独立してフリーで活躍していた先輩楽士には「お前は向いてない」と言われました。親方と女将さんには大反対されるのは分かり切っていたので、先の嘘と共に退職は事後報告としました。
二人共呆れ返っていましたが、それからは私を主力メンバーとして使ってくれ、さらに本腰を入れて指導してくれました。
両親は、独立して何年も経っている息子に対して強く反対はしませんでしたが、やはり、理解できないといったふうでした。

 

退職してしばらくは、平日の昼を自宅で過ごすことに何とも言えない焦りを感じたりしたものでしたが、仕事のない日は、太鼓の練習や営業活動の真似ごとをしたり、日本舞踊の稽古に通って発表会に参加したり、勉強のために歌舞伎を見に行ったりと、のんびりとした日々でした。
振り返ってみればこの時期にもっとやっておけばよかったと思うこともありますが、その頃は親方も元気で、親方の近くで仕事を学ぶことができた貴重な期間でした。その2年ほど後、親方は体調を崩し、現場に出なくなりました。今は介護老人ホームで余生を送っています。

自伝のような内容が続きました。次回もこの続きにお付き合いください。


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プロフィール平成6年、東京墨田区・小鶴家に入門。
平成15年独立、「大和家」創業。
平成19年、美香と結婚、共に「チンドン芸能社」を創立。
日本舞踊小町流・永寿郎。
サムライ日本流チャンバラ道場初段。
東京演芸協会会員。

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