チンドン屋との出会い>>チンドン屋 さん休のチンドン紹介記 〜チンドン屋が道を歩けば、街は笑顔笑顔!〜

目次
第1回 自己紹介とご挨拶 [2010-01-01]
第2回 チンドン屋との出会い [2010-01-19]
第3回 プロへの転向 [2010-03-15]
第4回 大和家時代〜現在 [2011-06-06]
第5回 東京のチンドン屋の営業スタイル [2011-07-12]
第6回 チンドン屋の扮装 [2012-10-30]
第7回 うれしいこと、辛いこと [2013-06-25]

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第2回 チンドン屋との出会い [2010-01-19]

今回は、私がチンドン屋を生業とするに至る、その最初のきっかけをお話ししましょう。


今を去ること15年前の1994年12月、私はサラリーマンでした。勤務先は東京・田町にある「中央労働災害防止協会」。これは、産業現場の災害や職業病をなくするため、つまり産業安全・労働衛生の推進のために設立された法人です。

つまり当時の私は、「団体職員」でした。


さて、それは初冬の小春日和の一日でした。昼休みに食事をしに職場を出た私の耳に、鉦と太鼓の華やかな音と、勢いのいいサックスの音が響いてきました。


近づいてみると、田町駅西口ロータリー前のパチンコ店の前で、3人のチンドン屋さんが演奏していました。スッとした着物姿の若い女性が、鉦と太鼓を縦に組み合わせたものを体の前に抱えて打ち、赤と緑の派手な衣装の若いメガネの男性が、踊りながらアルトサックスを吹き、やはり着物でカツラをかぶった小柄な初老の女性が、大きな太鼓を体の前に水平に吊るして叩いていました。

※撞木(しゅもく)…鉦を打つ道具。細い竹の棒の先に、鹿の角を削ったものがついている。

私はその華やかな姿、特にサックスの男性の、心から楽しそうなウキウキした吹きっぷりに心を奪われ、しばし立ち止まって見とれていました。


それにしても、一見して20代の彼と、やはりとても若そうなチンドン太鼓の彼女は、なぜ、どうやってこの仕事についたのだろう……。今でも多くの方に言われますが、私もやはり、チンドン屋といえば年配の人、というイメージを持っていたのです。演奏が終わって店の中へ戻りかけた彼に思い切って、「素晴らしい演奏に感動しました。見たところお若いようですが、どうやってチンドン屋になったか聞いてもいいですか?」と話しかけてみました。
彼は少し驚いたようでしたが、彼女と顔を見合わせてニヤッと笑い、「“専務”に話してみるので、ここでちょっと待っていて下さい」と言って、二人で店の中に入って行きました。


言われた通り待っていると、ドラムを叩いていた初老の女性が出てきて、「話は聞いたよ。今日はちょうど駅の向こう側のパチンコ屋に“社長”が出ているから、話に行ってごらん。私も伝えておくから。じゃあ私たちは食事に行くから」と言い、三人で連れだって行きました。

 

ここまで来て、私の最初の質問のせいで、チンドン屋になりたい人だと思われていることに気付きました。とりあえず食事を済まして職場に戻った私でしたが、仕事は半分上の空でした。仕事中に関係ないことをするのはもちろん違反だが、全く未知のチンドン屋の世界に出会うチャンスがせっかくあるのだから、このまま逃してしまうのは惜しい……。午後2時半頃、私は口実を作って職場を抜け出し、教えてもらった田町駅東口側のパチンコ店に走って行きました。


そこでは、カツラをかぶり、白と赤の着物の年配の男性がチンドン太鼓を、アルトサックスの男性とドラムの女性と共に演奏していました。“社長”こと親方のチンドン大鼓は低音が効いて重々しく、ボディブローを打ち込んでくるようなグルーヴ感に溢れていました。
あいさつすると、親方は「君が永田君か。このままついて来なさい」と言って、二人と共に演奏しながら歩き出しました。
店から少し離れると演奏は終わり、歩くだけになりました。


私「どのくらい長くこの仕事をやってらっしゃるのですか」
親方「……45年」
素顔も表情もわからないほどいかめしく厚化粧をした親方の姿は、どっしりした風格に溢れていました。
連れて行かれたのは、田町駅から少し北上したJR線路際の公園。昼休みに出会った3人も既に着いていました。
親方「君は何かやったことがあるのか」
私「バンドでドラムを少し」
親方「よし、じゃあ今チンドン打ってみなさい」
私「えーっ? 出来ませんよ」


というわけで、いきなりチンドン太鼓を背負わされ、※撞木とバチを持たされて、初めてやってみることになりました。
無我夢中で、どうだったかは覚えていません。途中から、メガネの男性とおかみさんが一緒に演奏してくれた気がします。

 

その後ベンチに座って話をし、サラリーマンであることも話したところ、「じゃあ、今すぐはないが、土曜日曜の忙しい時には手伝いを頼むかもしれないから」と言い、名刺をくれました。そこには「 全日本チンドンマンコンクールに於てチャンピオン獲得  アーリガチンドンプロダクション 小鶴家」とありました。


どうやら……私はチンドン屋の、入団テスト?オーディション?入門試験?に合格したようでした。
学生時代からアマチュアロックバンドを始めたが、自分で納得の行くレベルの音楽が出来たことはなく、もちろん誰かに良いとか上手いとか認められたこともなく、それでも意地になってやり続けてきた私。そんな私が本物のプロに、「使いものになるだろう」と認められたのです。

 

もちろん本当はそんなものではなかったのですが、親方の“魔法”にかけられたのでしょう、そんな気分になっていました。歩き出しながら、私は「やった!」と拳を突き上げてスキップしていました。

 

しかし、後で頭を冷やして考えてみれば、私は別にチンドン屋になりたかったわけではないのでした(笑)。定職を持ちながら、奥が深くまた厳しそうなチンドン屋の仕事に関わって大丈夫だろうか……一方で「面白くなりそうだ」という心の中から聞こえてくる囁きの間で迷った末、2週間ほど経って、名刺の電話番号に電話をかけてみました。途端に、「なぜ今まで電話しなかったんだ!」と電話口で親方に怒鳴られ、仰天しました。


その後、私は土日を中心に、時には有休を使いながら、チンドン屋の仕事を手伝うようになりました。もちろん職場の人には内緒で。その生活を約6年続けた後、私は中災防を退職し、専業のチンドン屋になります。

 

この続きはまた次回。専業になったばかりの私に待っていた出来事とは?

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マジシャンの派遣専門
マジック派遣.net選べる似顔絵ウェルカムボードの作成 Ni-ga

プロフィール平成6年、東京墨田区・小鶴家に入門。
平成15年独立、「大和家」創業。
平成19年、美香と結婚、共に「チンドン芸能社」を創立。
日本舞踊小町流・永寿郎。
サムライ日本流チャンバラ道場初段。
東京演芸協会会員。

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